(Zoe, 2018, 米)
Netflix にて鑑賞。
人間そっくりなアンドロイド「シンセ」が普及した近未来。
人間関係の改善に取り組む研究所で働く女性ゾーイは、
新たなシンセ・アッシュの製作の責任者を務める同僚のコールに
恋心を抱いていた。
ある日、自分の思いをコールに伝えたゾーイは、
彼から衝撃的な事実を聞かされる。
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どこか輪郭がぼんやりして、夢のようにゆったりとした映像。
サントラもドリームポップが多い。
映像にかかわった経験はまったくないものの
作品の撮り方が自分にはわりと大切だと感じている。
撮り方が「好きだな」と思った作品をずっと観てしまう。
作品の景観は、近未来が舞台のはずだけれども現代とそれほど変わらない。
ゾーイたちが働く研究所も、とてもアンドロイドを作っているような
たいそうなものには見えない(むしろインテリアショップのような普通の建物)。
現代との違いは「シンセ」がいるかどうか。
このような素朴なSFの描き方がとても好みで、あらすじよりも印象に残った。
AI開発がすすむ現代と、すでに地続きになっている問題なのだ、
という製作側のメッセージなのかもしれない。
唯一引っかかったのがこの邦題だけれども、鑑賞後はそれほど気にならず。
一貫したテーマは「"本物"なのかどうか」
研究所では、瞬時に人と恋に落ちる薬の開発もすすめられ、
そうやってつながったところで、人間どうしの気持ちさえ「本物なの?」
と疑問がうまれる。
冒頭では、恋人どうしの関係が継続する確率を測定する機械も登場する。
確率が高ければ安心なの?本物の関係なの?
そもそも"本物"とは何なのだろうか。
だれかに教えてもらえるものなのだろうか。
本物「ではないもの」なら、なんとなくわかるような気もする。
本物「ではないもの」と比べることによってのみ
なにかが見えてくる。
それを一応、自分のなかで「ほんものだ」ととらえることしか
できない、というか、それがすべてではないだろうか。
この作品そのものはハッピーエンドだったものの
自分の実際の人間関係についてまで考えたくなってしまうような
そんな映画体験だった。