祖母の言葉遣いはおもしろい。世代の違いだろうか。方言も関係あるのだろうか。
たとえば、他動詞を使うべきところに自動詞を使う。「鍵かけた?」ではなく、「鍵かかった?」。「コンロの火は消した?」ではなく、「コンロの火は消えた?」。鍵は「かけた」から「かかった」のであり、コンロの火は「消した」から消えたのだが。相手にしたかしていないかの行動の確認をしているはずが、言葉になっているのはその結果の部分である。いちばん気になっているのが結果の部分だからだろうなと思ってはいても、その言い方がおかしくて、私はいつまでたっても慣れない。
物の名前もそうだ。
祖母は、本来なら「おたま」と呼ぶべきもののことを、なぜか「しゃもじ」という名前で呼んでいる。「しゃもじ取って」。そう言われたので、ごはんをよそうときに使う、あの平べったい、そして先がゆるやかにカーブした、あれを渡そうとしたら、違っていた。祖母にとっての「しゃもじ」とは、「おたま」のことだったのである。「それ、『おたま』でしょ」と指摘すると、祖母は「おたま、って、いい名前やね」という感想までよこした。けれども明日も、祖母にとっての「しゃもじ」は「おたま」のままだろうと思う。
祖母は、当時の女性としてはめずらしく、大学の食物科を出ている。だから、「しゃもじ」と「おたま」を間違って覚えていることなんて、ないと思うのだけれど。不思議である。
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