2014/04/17

さよなら、アドルフ

雑誌で見かけてからずーっと気になっていた作品。ちょっと金欠なのでさんざん迷ったけれど、今のところDVDリリースの情報はまだないし、9月から日本を離れることもあって、それならいつ観られるかわかったものじゃない...!ということでほぼ勢いで観に行ったのですが...行ってよかったです。以下、思い入れが強すぎて前代未聞の長さになってしまった記事です笑


(Lore. 2012. オーストラリア・ドイツ)

【あらすじ】
お父さんはとんでもない悪党でした。

※結末に関するネタバレあります。

【感想】
一筋縄ではいかない映画でした。あらゆる意味で。

ホロコーストを扱った映画は数あれど、ヒトラーの子供たち、つまりはナチス側だった人間を中心としたものって今まで観たことなかったような。なにしろ知識があまりにもなさすぎるのが恥ずかしいところですが、とにかく、ナチスは「悪」なのだ、ということは日本人の私でも、別に特別に刷りこまれているわけでもなく認識としてありました。

そのような自分でも意識していないような思いで、私は最初あたりはこの映画を観ていたような気がします。私はかなり涙もろくて朝の15分間のドラマを観ても一瞬で泣いちゃうくらいなんですが、本作で主人公の14歳の少女ローレが父親と別れ、母親とも別れてしまう場面を目にしても泣けませんでした。いや、泣けませんでした、と言ってしまうのは薄っぺらいとは思うものの、一方で「そんなの当たり前じゃないか」とどこかで感じていたような気がするのが今振り返ると怖い。

でも本作自体、ローレに無駄な感情移入を促すような要素がそもそもないのです。話は一定のリアルさを保ちながらも淡々と進んでいきます。今触れた感情移入どころか、無駄なものは一切ありません。BGMもほとんど覚えていないくらい流れなかったような気がするし、説明的な台詞も、何もかも。何かを暗示させるような物事を無言で、ただ美しく、ときに不気味で残酷な映像で提示されていく2時間でした。いや、ほとんど美しかったです。

印象的だったのは、人物に物理的距離を迫るようなカメラワーク。ローレの気品漂うきれいな顔立ちがまぶしいと何度も思いました。彼女の肌のきめ細かな部分まで目に入るようで、長い旅路の中でついた顔の傷もリアルでただただ痛々しかった。

そんなローレとその妹や弟たちが旅の途中で出会う青年トーマス。は、実はユダヤ人。ローレは彼をユダヤ人として毛嫌いする一方、抑えきれない思いを大きくしていきます。この2人が視線を合わせる場面が何度かあるのですが、どれも切り取って繰り返し眺めたくなるほどきれいだった!

ところがこのトーマス、実はユダヤ人ではなかった???ということが終盤になって、彼がローレたちのもとを去ってからわかるんですね...これが憎いというか何と言うか。「アメリカ人はユダヤ人が好きだから」という理由で、ユダヤ人だった他人になりすましていただけなのでした。ナチスの娘がユダヤ人の青年と出会って恋に落ちて...という、まあ実際にあったかもしれないということは別にしてある種のファンタジーのような、そういうものを作る気はさらさらないのです。

かわりにローレにつきつけられた真実は、これはあくまで私の見解ですが、単純に言えば人間はみんな一緒、という普遍的なものだったのでは。ユダヤ人(だと思っていた)青年トーマスにどうしようもなく惹かれながらも、彼がユダヤ人(だと思っていた)ということで最終的には心を許せなかった。でも実際はその彼もユダヤ人ではなかったかもしれなくて。トーマスへの嫌悪感も、彼が犯した殺人も、すべては彼が「ユダヤ人だから」ということでなんとなく納得してところがあったのでは、とローレに対して思います。

最後に、ローレがトーマスがもっていた(本物の)トーマスの身分証明書の中を開き、(本物の)トーマスが幸せそうにほほ笑む写真を取りだして見ていたのが印象的。以前の自分と何ら変わりない、幸せそうな光景。自分の父親が、大好きだった父親が、彼の幸せを奪ってしまったのだ。この事実に押しつぶされそうになる。

こうして、ローレの世界は900キロに及ぶ旅を経て崩壊し、そして再生します。


【個人的注目ポイント】
というか、何と言うか...トーマスはなぜ去ってしまったのでしょう。

ファンタジーを否定しておいてなんですが、トーマスも嘘をついているのが辛くなってしまったのではないかと。確かに赤ん坊と一緒にいれば得することは少なからずあるとは言え、ローレたちといるときのトーマスは確かに幸せそうに見えたのだけどなあ。そのあたりが曖昧というか、心をつかまれてしまったというか、すごく気になりました。ローレとトーマスが顔を合わせず寝そべりながら指を絡め合わせるシーン、その様子をローレの側から撮るカメラワークが素晴らしく美しかっただけに!

また、やっぱりトーマスはユダヤ人だったのではないかなあという思いも捨てきれず。腕に番号のようなものがありましたしね。彼なりに葛藤があったのかも。ローレがなかなか自分に心を開いてくれないのも、自分がユダヤ人だからということをトーマス自身わかっていたはずだし。そんなローレが誇りを捨てて最後には自分に縋ってきた...喜べばいいのか、何なのか。いいえ、トーマスも辛かったんでしょうね。ローレがそこまで誇りを犠牲にして思いをぶつけてきたのには。耐えきれなくなって、別人になりすましているのだという負い目もあって、八方塞がりになった。だからこそ彼は去ったのだ、とも解釈できるわけです。というか、考えれば考えるほどそんな気がしてきた...深すぎますよ、「さよなら、アドルフ」...

アカデミー賞の外国語映画賞では最終選考には残らなかったみたいですが、既に私のオールタイムベスト映画に入りそうです(わりとどうでもいいですか

2014/04/13

隠れハミッシュ特集「バトルシップ」「ザ・フューチャー」

1ヵ月ほど前からハミッシュ・リンクレイターが大変なマイブームなのですが...


個人的な魅力
気の抜けた、とも、ただキョドッているだけ、ともとれる独特の喋り方

まんまるな目(見つめられたい...

ものすごい草食系な雰囲気。科学者役とか意外とはまるんですね

それでいて身長はなんと190cm!

夢中になったきっかけ
「29歳からの恋とセックス」という映画。
「ロボコップ」で主演に抜擢されたジョエル・キナマンが出ているとかで最近レンタルショップの店頭で見受けられるようになったのですが、邦題やアメリカが大量生産してるありきたりなラブコメ!のイメージにだまされずにぜひ観ていただきたいオススメ映画です。好き嫌いはかなり分かれそうだけど

正直ジョエル・キナマンめあてに観たのに、そのジョエルの親友役を演じていたハミッシュにはまるという予想外な展開に。ほんとうに夢中になったきっかけは、彼がヒロインに向けたセリフでした

I cannot believe you!

この言い方、それを取り巻く状況(これはネタバレになるので伏せますが)、実際は修羅場なんですが本作におけるお気に入りシーンの1つに。このセリフを言ったときのハミッシュの表情、カメラワークが最高でした。

**

そういうわけで、ハミッシュ出演作を開拓しようとまず借りてきたのは「バトルシップ」。


日本から浅野忠信が出ていること、リアーナの出演、といった知識で鑑賞しました。ハミッシュは科学者役で、後半にかけてはけっこう出番ありです。

が、正直、前半だけ観ていてレンタルしたことを後悔しかけました...特に冒頭、チキンブリトーを取りに閉店後の店に侵入したテイラー・キッチュの情けない姿とともにピンクパンサーの曲が流れたときは、ほんとどうしようかと思いました(震)。あと、ヒロインもちょっと微妙だし(失礼)、大物リーアム・ニーソンもほとんど出番なしというかこの人何でこんなのに出たの?(もっと失礼)という感じだったし。

でも、結論というかこの作品でわかったことは、本編に入るまでが極端に長い映画は飽きられやすいのかもしれない、ということ。本気で投げ出したくなったけれど、つまりは我慢強く観ていたらわりとおもしろかったのでした。特に最後は爽快。宇宙人と海軍の戦いというプロットに現代においてここまで本気で取り組んだ作品はある意味新鮮でした(褒めてる?


ハミッシュの出演作で特に気になっていた「ザ・フューチャー」は、ちょうどよくWOWOWで放送。

※結末に関するネタバレあり



かなりシュールな映画でした。シュールな映画は大好きなんですが、この世界観はシュールすぎて個人的には入りにくかったような気がします。

特に、主演の2人が世話をすることになる、でも施設で引き取られることになるネコのパウパウが話をするシーンはちょっと不気味でさえありました。パウパウの運命は、「まあ、こうなるんだろうなあ...」と思っていたら本当にその通りに。作品全体にパウパウのそんな運命を連想させるようなある種の切なさが漂っていて、気分の良いときに観るものじゃないかも。

ここでのハミッシュは、彼がもともともつ文化系の雰囲気が作品にするりとマッチ。同じような年に製作された「24歳からの恋とセックス」での短髪とは打って変わってのアフロヘアが素敵。変わってゆく恋人への戸惑い、時間を止めたいと願い足掻く様子が痛いほど伝わってきました。



最後に、「29歳からの恋とセックス」のハミッシュとキャスト&監督

2014/04/03

それでも夜は明ける

大阪ステーションシティシネマで鑑賞。
大都会の映画館なんて初めてのことです。大都会じゃなくても、縁のない土地の映画館は。とてもきれいな映画館でした。観てからすぐに大阪駅から電車に乗って帰りました。


 
(12 Years a Slave. 2013. イギリス・アメリカ)


結末に関するネタバレはありません。


あらすじ
「自由黒人」だったのに奴隷になってしまった...


感想
とにかく緊張しっぱなしでした。スクリーンから熱気とも冷気ともいえない、でも圧倒的な空気が放出されていて、それに逆らうように必死に座席にしがみついて何とか座っていたような気さえします。

というか途中で「いつ終わるの?」とスクリーンの明かりを頼りに腕時計を見ましたもん....誤解のないように言っておきますが退屈だったとかそういうわけではなくして、
「この苦しみはいつ終わるの?」という思いだったのでした。

その点、映画館で観てよかったのかもしれません。どうしても退屈な映画なら時計を確認するまでもなく途中でやめてしまえるということは言うまでもなく、本作のように苦しくて観ていられない映画を家でこたつにでも入りながら観るようなときは一旦停止したりできるので。映画館では、何度も心の中で「このシーンはもういやだ....でも観なくちゃ!」と人知れず闘っていました。

鑑賞後、気になったのは2つ。

まず、差別って、奴隷って何だ?ということでした。

本作には、ソロモン(C. イジョフォー)のような「自由黒人」をはじめ、白人と結婚した「元奴隷」の黒人女性、母が黒人で父が白人という女の子、奴隷なのに主人から可愛がられる幼い女の子など、「差別の対象」であるはずなのに(奴隷になっていないという意味で)差別の対象にならないか、されても程度の軽い黒人が出てきます。彼らと、奴隷として働く黒人の間に一体どんな違いがあるんでしょう。ソロモンだって、証明書という紙切れがないというだけで奴隷と見なされてしまいます。

結局は、差別したいときはするし、しないときはしない、というたったそれだけなのかもしれません。そういう感情はほとんどすべて「白人」という一部の集団がもち、それによって左右される世の中だったんですね。そして今も。集団は違えど。あまり表に出てこないところで。

また、ソロモン自身の、奴隷になる前後の奴隷制度に対する考え方はどうだったのだろうかということ。

拉致される以前は、ソロモンは奴隷制度に対して特に意見は持っていないようで、ただ家族と平和に暮らすことのできる現在に満足しているだけでした。ソロモンが家族と共に出かけた店に、彼らにつられて奴隷黒人が入ってきます。彼はすぐに主人に呼び止められ連れていかれるのですが、そんな彼を見たソロモンが特に何らかの感情を抱いた様子はあまり見受けられません。奴隷というのは自分には程遠い存在であり、まさか自分が奴隷になるだろうということは夢にも思っていないのでした。

捕まったとき、「私は自由黒人だ!」と主張したり(当然の行動には違いない。けれど、現行の奴隷制度にしがみついているようでもある)、まだ日の浅い時期はただ感情をなくして賢く振る舞おうと考えています。同じ境遇にあり、子供と引き離され泣き暮らす黒人女性への決して温かくはない態度も印象的です。この闇はきっといつか終わる。その思いをずっと捨ててはいないのです。

C. イジョフォーの、「奴隷役にしては」(という言い方も語弊がありますが)少し上品すぎるともとれる演技は、ソロモンの自由黒人(しかもバイオリンという一芸に長けている)という本当の身分を反映しているだけにとどまらず、こういったソロモン自身の奴隷制度への見方を暗示しているのではないかと思いました。


個人的注目ポイント
1. マイケル・ファスベンダー
奴隷制度に対し疑問を抱くことのない、「残忍」なエップスを演じています。エップスに限ることなく、当時はこのような人間なんていくらでもいたはず。今だからこそ真っ向から否定し非難することができる

彼のファンとしては複雑というか、そもそも本作は彼のことがあって観るの結構躊躇してました。でも観たあとは、どうやって役作りしたんだろうとか演じる上でどんな心境だったのだろうとか、そういうことが頭をかけめぐりました。


2. ブラピはブラピだった
彼には独特のオーラがあることを差し引いても、本作のブラピはちょっと浮いてたよ...。というより、おいしいところを持っていきすぎだった。別にいいんですけどね。

持っている思想は今私たちが生きている世界(といってもいまだ限られた世界なのだろうけど)のそれと似通っていたからまあ安心して観られたけれども、当時としては早すぎるというか。エップスの心に全く響いておらず、むしろ彼からの嘲笑を買うところにブラピ演じるバスの当時の社会とのずれが反映されていたんでしょうね。

ところでファスベンダーとブラピは共演作がなかなか多いですよね。本作にも同じ画面におさまるシーンはありましたが、およそ15歳の年の差をまったく感じない...ファスベンダーが中3のときブラピは30歳のオトナだった、っていうことでしょ!?←日本的に言ってみた


3. 邦題...
この邦題は何かと問題ありな気もしますが、私は正直あまり気にならなかったというか。

少しシュールともとれ(日常的な生活の様子をバックにした長時間ぶら下げシーンとか)、無駄な説明を一切省きすべてを淡々と描くこの映画の克明な描写を反映したような邦題、だと思いました。どんなに苦しくて理不尽で残酷なことが起き、人が死に鞭で何度も打たれることがあっても、太陽は沈みまた昇る。当たり前だけれども時として不思議ではっとさせられるような現実ですよね。

まあ、そこまで考えて出された邦題なのかというとそれも疑問ですが。それに、やはり誤解を生みやすい邦題はちょっとな...と感じます。実際、文字通りではない意味で「夜」は明けてませんから。