大都会の映画館なんて初めてのことです。大都会じゃなくても、縁のない土地の映画館は。とてもきれいな映画館でした。観てからすぐに大阪駅から電車に乗って帰りました。
(12 Years a Slave. 2013. イギリス・アメリカ)
結末に関するネタバレはありません。
あらすじ
「自由黒人」だったのに奴隷になってしまった...
感想
とにかく緊張しっぱなしでした。スクリーンから熱気とも冷気ともいえない、でも圧倒的な空気が放出されていて、それに逆らうように必死に座席にしがみついて何とか座っていたような気さえします。
というか途中で「いつ終わるの?」とスクリーンの明かりを頼りに腕時計を見ましたもん....誤解のないように言っておきますが退屈だったとかそういうわけではなくして、
「この苦しみはいつ終わるの?」という思いだったのでした。
その点、映画館で観てよかったのかもしれません。どうしても退屈な映画なら時計を確認するまでもなく途中でやめてしまえるということは言うまでもなく、本作のように苦しくて観ていられない映画を家でこたつにでも入りながら観るようなときは一旦停止したりできるので。映画館では、何度も心の中で「このシーンはもういやだ....でも観なくちゃ!」と人知れず闘っていました。
鑑賞後、気になったのは2つ。
まず、差別って、奴隷って何だ?ということでした。
本作には、ソロモン(C. イジョフォー)のような「自由黒人」をはじめ、白人と結婚した「元奴隷」の黒人女性、母が黒人で父が白人という女の子、奴隷なのに主人から可愛がられる幼い女の子など、「差別の対象」であるはずなのに(奴隷になっていないという意味で)差別の対象にならないか、されても程度の軽い黒人が出てきます。彼らと、奴隷として働く黒人の間に一体どんな違いがあるんでしょう。ソロモンだって、証明書という紙切れがないというだけで奴隷と見なされてしまいます。
結局は、差別したいときはするし、しないときはしない、というたったそれだけなのかもしれません。そういう感情はほとんどすべて「白人」という一部の集団がもち、それによって左右される世の中だったんですね。そして今も。集団は違えど。あまり表に出てこないところで。
また、ソロモン自身の、奴隷になる前後の奴隷制度に対する考え方はどうだったのだろうかということ。
拉致される以前は、ソロモンは奴隷制度に対して特に意見は持っていないようで、ただ家族と平和に暮らすことのできる現在に満足しているだけでした。ソロモンが家族と共に出かけた店に、彼らにつられて奴隷黒人が入ってきます。彼はすぐに主人に呼び止められ連れていかれるのですが、そんな彼を見たソロモンが特に何らかの感情を抱いた様子はあまり見受けられません。奴隷というのは自分には程遠い存在であり、まさか自分が奴隷になるだろうということは夢にも思っていないのでした。
捕まったとき、「私は自由黒人だ!」と主張したり(当然の行動には違いない。けれど、現行の奴隷制度にしがみついているようでもある)、まだ日の浅い時期はただ感情をなくして賢く振る舞おうと考えています。同じ境遇にあり、子供と引き離され泣き暮らす黒人女性への決して温かくはない態度も印象的です。この闇はきっといつか終わる。その思いをずっと捨ててはいないのです。
C. イジョフォーの、「奴隷役にしては」(という言い方も語弊がありますが)少し上品すぎるともとれる演技は、ソロモンの自由黒人(しかもバイオリンという一芸に長けている)という本当の身分を反映しているだけにとどまらず、こういったソロモン自身の奴隷制度への見方を暗示しているのではないかと思いました。
個人的注目ポイント
1. マイケル・ファスベンダー
奴隷制度に対し疑問を抱くことのない、「残忍」なエップスを演じています。エップスに限ることなく、当時はこのような人間なんていくらでもいたはず。今だからこそ真っ向から否定し非難することができる
彼のファンとしては複雑というか、そもそも本作は彼のことがあって観るの結構躊躇してました。でも観たあとは、どうやって役作りしたんだろうとか演じる上でどんな心境だったのだろうとか、そういうことが頭をかけめぐりました。
2. ブラピはブラピだった
彼には独特のオーラがあることを差し引いても、本作のブラピはちょっと浮いてたよ...。というより、おいしいところを持っていきすぎだった。別にいいんですけどね。
持っている思想は今私たちが生きている世界(といってもいまだ限られた世界なのだろうけど)のそれと似通っていたからまあ安心して観られたけれども、当時としては早すぎるというか。エップスの心に全く響いておらず、むしろ彼からの嘲笑を買うところにブラピ演じるバスの当時の社会とのずれが反映されていたんでしょうね。
ところでファスベンダーとブラピは共演作がなかなか多いですよね。本作にも同じ画面におさまるシーンはありましたが、およそ15歳の年の差をまったく感じない...ファスベンダーが中3のときブラピは30歳のオトナだった、っていうことでしょ!?←日本的に言ってみた
3. 邦題...
この邦題は何かと問題ありな気もしますが、私は正直あまり気にならなかったというか。
少しシュールともとれ(日常的な生活の様子をバックにした長時間ぶら下げシーンとか)、無駄な説明を一切省きすべてを淡々と描くこの映画の克明な描写を反映したような邦題、だと思いました。どんなに苦しくて理不尽で残酷なことが起き、人が死に鞭で何度も打たれることがあっても、太陽は沈みまた昇る。当たり前だけれども時として不思議ではっとさせられるような現実ですよね。
まあ、そこまで考えて出された邦題なのかというとそれも疑問ですが。それに、やはり誤解を生みやすい邦題はちょっとな...と感じます。実際、文字通りではない意味で「夜」は明けてませんから。
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